愛犬のシェルティーが虹の橋に旅立ってから1年
今日、2月19日は我が愛犬のシェルティーの命日でした。大切な愛犬の思い出を忘れないように去年愛犬が亡くなったときの事や、火葬場で見かけた作者不明の『虹の橋』という詩について。
人生で一番多く泣いた日
2018年2月19日、午後の勤務を終えて自宅に戻り、ご飯を食べ終えてからスマホのLINEの通知に気がついてLINEを開くと実家の母親から連絡が入っていました。
この知らせを見た瞬間、胸が詰まるような苦しい感覚と同時に目から涙が溢れて止まらなかった。生まれて初めての感覚だった。椅子にもたれながら動くことが出来ずに、ずっと泣いていた。
普段生活をしているとテレビやラジオまたは音楽など、なにかしら音のある環境で過ごしているのだが、このときは付いていたテレビを消したのを覚えている。誰にも話しかけてほしくないというような感覚。テレビの音ですら邪魔に感じる感覚だった。
やっと涙が治まってから風呂に入った。いつもはラジオを聴きながら入っているのだが、同じくラジオを聴く気分ではなかった。風呂に入りながら愛犬のことをまた思い出して泣いた。
2日後に火葬の段取りが付いたと連絡。平日なので無理に来なくてもいいと言われたが、私にとって唯一無二の特別な愛犬だったので行かないという選択肢は考えられなかった。
一通り連絡を済ませてからベッドに入った。ベッドの中でも愛犬のことを思い出して泣いた。この日は泣きながら眠りに落ちた。
最後まで長生きした初めての愛犬
実家にはシェルティーが3匹いました。右が最初に来た我が愛犬、左が2番目に来た気の強い女子、真ん中が最後に来たわんぱく小僧。(全て母親が独断で連れてきた)
このときの2年前くらいにわんぱく小僧が最初に亡くなり、次の年に2番目に来た女の子。そして去年、最初にきた我が愛犬が最後に亡くなった。シェルティーにしては少し体が小さく大人しい性格だったのだが、最後まで長生きしてくれた。
戸建てに住んだら絶対に犬が飼いたいというのが小さい子どもの頃からの夢だったので、初めて家にこの子が来たときの衝撃は今でも覚えている。生後2~3ヶ月の子どものシェルティーが母親に抱かれながら部屋に入ってきたのだ。母親から何も聞いていなかったで、人生の中でもトップレベルで本当に驚いた。
子どもの頃は毛足も短くて、こんなフサフサの毛並みの良い子になるとは思わなかった。(3匹の中でも一番ふわふわの毛並みで綺麗だった)
家に来たばかりの頃はなかなかご飯を食べなかったので心配したが、私がフード皿に顔を近づけて食べる真似をしたりするうちにバクバク食べるようになったのを今でも覚えている。
近所に見晴らしの良い丘があったので、夕方の散歩コースで毎日夕陽を一緒に見に行った思い出。
虹の橋
今回実家の近所にある動物葬をやってくれるところで火葬してもらったのですが、その待合室に置かれていた『虹の橋』という作者不明の詩がとても感動的だったので紹介しておきます。
『虹の橋』
天国のちょっと手前に
虹の橋と呼ばれる場所があります。
この世界で誰かと特に親しかった動物は死を迎えると、虹の橋に行くのです。
そこには親しかった彼らのために用意された草地や丘があり、
動物たちは一緒に走ったり遊んだりできるのです。豊富な食べ物に水、お日様の光があり、
動物たちは暖かく心地よく過ごします。病にかかったり年老いた動物たちは皆、健康になって元気になります。
傷ついたり不自由な体になった動物たちも、また元通りになって力強くなります。
まるで、過ぎ去った日々の夢のように。
動物たちは幸せで充実していますが、一つだけ小さな不満があります。
みんな、とても特別な誰かと、残してきた誰かと会えなくて寂しいのです。
彼らは一緒に走ったり遊んだりしています。しかし、
ある日、一匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきらと輝き、
身体はしきりに震え出します。突然、彼は群れから離れ、緑の草を速く、速く飛び越えて行きます。
彼はあなたを見つけたのです。
そして、ついにあなたとあなたの特別な友だちが出会うと、再会の喜びにあなたは抱き合います。
そして二度と離れることはありません。幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。
あなたは両手で再び最愛の友の頭をなで回します。
そして、あなたは信頼にあふれる友の眼をもう一度覗き込みます。
その瞳は、長い間あなたの人生から失われていたものですが、心から決して消え去りはしなかったものです。それから、あなたは虹の橋を一緒に渡って行くのです。
(作者不明)
愛犬を失った悲しみで自分の心もどこか遠くへ行ってしまったような感覚でしたが、これを読んで少し心が救われるような気持ちがしました。
毎日近所のワン友たちと走り回って遊んでいた丘のような場所で、旅立った私の愛犬も先に亡くなったワン友たちと一緒に楽しく遊んでいるのかと思えば、少し安心できるような気がしました。
そして、いつか自分も愛犬の待っている場所に迎えに行くことができると思えば、悲しんでばかりいないで毎日をしっかり生きていこう!と思えるような気がしました。もしペットロスで悲しんでいる人がいたら、この詩を是非読んでもらいたいです。少しは心が楽になると思います。
コメント